バドミントン部コラム【 第42回 永原和可那( No2)】
2025年2月13日
2月2日のSJリーグ仙台大会を最後に私は現役を引退しました。
7歳からバドミントンを始め、気づけば22年の月日が経っていました。高校を卒業して、北都銀行に入行した時にはまさかこれほど長い時間を秋田で過ごすとは想像もしていませんでした。
この秋田で過ごした11年は書ききれないほどの思い出があります。その中でも強く印象に残っているのは昨年11月に行われたSJリーグ秋田大会です。ナガマツとして戦う最後の試合を秋田で戦えたことはもちろん、沢山の方が会場まで足を運んでくださり、改めて県民の皆様の温かさと声援の力強さを感じ、心から幸せだなと思えた大会でした。
競技を始めた頃は、周りの方への感謝という事が正直幼かった私にはピンときていなかったのが事実です。小中学生の頃、練習への送り迎えをしてくれた親や、家族を犠牲にしてでも選手を第一優先に活動してくれた監督スタッフ、会社や地域の方の多大なサポートがあり競技ができている等、多くの方に支えられて自分は生かされているんだという事を知れたのは大人になってからでした。
それを知る事ができたのも、県民の皆様の温かさを実際に感じ、自分が救われた事が多くあったからです。
まず人は一人で生きていくことはできません。言葉で感謝を伝えるのは簡単ですが、それを行動で表せる事(周りの人を大切に、自分が受けた恩を返していける事)が言葉以上に大事だと私は思います。
そしてバドミントンをやってきて一番幸せだと感じたのは結果ではなく、人と人との繋がりで色んな方と出会えた事でした。
競技を引退してもバドミントンを通して繋がれた方々、そしてこれからまた新たな出会いがあると思いますが、人との縁というのは偶然ではなく必然的な運命だと私は思っています。なので人と人との繋がりを一番大切に今後の人生も過ごしていきたいです。
もう少しで秋田を離れるんだという事がまだ実感がなく、寂しさでいっぱいですがここで経験させてもらった事を次の人生にも活かして、新たな挑戦に向かって突き進みたいと思います。
カナダに行って寂しくなった時のために秋田犬のぬいぐるみを買って帰ろうかなと思っています。(笑)
また絶対に秋田に来たい。 そう思える場所、私の第二の故郷になりました。
最後に長い間温かく応援してくれた皆様、本当にありがとうございました。
〈試合後にみんなと涙のハグ〉
〈送別会をしていただきました〉